運動遊びってなに?
運動遊びとは、子どもが自ら率先して取り組む身体活動であり、なおかつ運動神経を向上させるトレーニングであると言えます。
運動遊びの定義
- 神経系向上が期待できること
- スポーツ活動の基礎的動作を含むこと
- 子供が熱中し、みずから創意工夫すること
(村田トオル 2009)
「私は(自分の子どもは)運動神経が悪いから…」と、運動が苦手なことをまるで運命のように感じてはいませんか?
運動能力は遺伝だと思っていませんか?
実はそうではありません。
運動能力は、トレーニングによって今よりもよくなります。
こちらについての詳細は “運動神経はよくなる?” をご覧ください。
また子どもたちが自発的に取り組もうとする、というのも運動遊びの大きな特徴です。
それはすなわち、誰かにやらされていたり、嫌々取り組んでいたりする状態ではないということです。
ランドセルを放り投げて「いってきます!」が消えた現代
一昔前は、学校が終わって帰るとすぐに家を飛び出し、土の上を駆け回り、木に登り、川で泳ぎ、鬼ごっこをし、空き地で野球をし…というのが子どもたちの遊ぶ姿でした。
そうやって自分たちがやりたいことに夢中になって楽しんでいる中で、様々な動きを会得していったのです。
しかし現在では、少子化、車社会、多忙な放課後、携帯ゲーム機器など、子どもたちを取り巻く環境が身体を動かしにくいものとなり、外遊びをしている光景がほとんど見られなくなってしまいました。
「小学校の時はすごかったのに…」現象
外遊びが減少する中で、各種スポーツへの参加が盛んになり、それによりスポーツ技術や記録が向上してきました。
しかしながら、運動をする子としない子の差が大きくなり、体力の二極化が目立つようにもなりました。
また、スポーツを始める歳が低年齢化しています。
年代に適した動きの経験を積ませることができればよいのですが、特定の動きに偏った運動経験になると、動きがぎこちなくなったり、姿勢の悪さからスポーツ障害を発症してしまったり、競技志向についていけずにスポーツが嫌いになってしまったりといったことが起こっています。
スポーツを行うにしても、幼い年代においては、まずは何者にも束縛されずに自ら考えて全力で動くことそのものが大切で、加えて多くの動きを経験することが、将来の最終的な運動能力の伸びに大きく関係します。
例えば、小学校ではスター選手だった子が高校生で伸び悩み、逆に幼い頃は外でよく遊び、小学校ではいくつかのスポーツを経験した子が高校生になってレギュラーになった、というようなことは決して珍しいことではありません。
「ゴールデンエイジ」にこだわり過ぎない
ゴールデンエイジやプレ・ゴールデンエイジといった言葉を用いて、何歳までにこういったことをしておいた方がよいですよ、という説明をすることがあります。
間違ってはいませんが、ではその年齢を過ぎたら手遅れなのかというとそうとは限りません。
人によって成長の仕方に違いがありますし、何歳になってもそこから伸びる可能性は大いにあります。
そして何歳からでも、身体を動かす喜びを感じることは生きるエネルギーとなり、夢中になる経験は、その人の人生を豊かにします。
「夢中になる」経験を
何を行ったかよりも、どれだけ夢中になって取り組んだか、これが私たちの活動で大切にしたいことです。
遊びであっても、練習であっても、勉強であっても、誰にも束縛されずに、自分がやりたいように取り組むこと。
それが最も伸びるための最初のポイントです。
運動に限らず、音楽でも、工作でも、絵を描くでも、虫を捕まえるでも、どろ遊びでも、人形遊びでも、何であってもその子が夢中になるという経験そのものが大切なのです。
一日の中で、お子さんが夢中になるのはいつですか?
何もそれは「とても真剣に〇〇の練習をしている!」のような時でなくてもよいのです。
もしかしたら「お風呂で水道から滴り落ちる水滴が気になって仕方がない」とか「独り言を言いながらお絵かきをはじめた」とか「水たまりでバシャバシャし始めた」など些細なことかもしれません。
大人からすると「早くお風呂から上がって!」とか「夕飯にしたいからテーブル片づけて!」とか「濡れたら明日履いていく靴がない!」とか、ちょっと困ってしまうタイミングかもしれません。
少なくとも私は父として困ることが多々ありました。
しかしその時こそが子どもが夢中になっている時かもしれないのです。
と考えると、大人は子どもが夢中になっている時間を、さえぎってしまっていることがたくさんあるのかもしれません。
「やらない」という選択肢が許される場所
子どもたちが夢中になれる場所であることの条件に、「子どもたち自身で選択できる」ということがあると思います。
私たちの活動では、来たのにやらないで見ている、ということがしばしば起こります。
子どもたちにも事情があります。
その日に学校で嫌なことがあったのかもしれませんし、来る前に家で叱られたのかもしれません。
好きではない遊びがあるのかもしれませんし、体調がすぐれないのかもしれません。
大人にもいろいろあるように、子どもたちにもいろいろあるのです。
基本的には来たいから来ているはずなので、「やらない」というのには何か理由があるわけで、そのことを認めるようにしています。
大人がやらせるのではなく、子どもたち自身がやりたいからやる、まずはそんな環境を作り出す必要があるのだろうと考えています。
“習う”よりも“経験する”所
ここまでお読みいただき、普通の習い事とは少し違うな、と感じた方もいらっしゃるかもしれません。
運営している私たちは、ここは習い事というよりは、いろいろな身体の動きと、他者との関係を「経験する」所であると考えています。
お子さまへ運動の機会をつくりたいとお考えの方はもちろん、
園や学校、家庭以外で、いろいろな大人や子どもたちと触れ合う機会が少ないとお考えの方や、
忙しくてお子さんが夢中になれる時間を作れていないかもしれないとお考えの方は、
私たちNPO法人あそびそだちiLaboの活動へぜひ一度お越しください。
そしてお子さんが自身が「楽しい。また来たい。」と思える場所であるならば、ぜひ私たちにも、お子さんの子育てを一緒にお手伝いさせてください。
運動神経はよくなる?
運動神経は、トレーニングによって今よりもよくなります。
※「運動神経」という言葉の本来の意味は、脳からカラダ中の筋肉へ動きの指令を送るための神経のことを指しますが、「運動神経がいい」や「運動神経が鈍い」といった言葉は、「運動が得意かどうか」を表現する際によく用いられる用語ですので、ここでは後者の意味で記載します。
では、「運動神経がいい」とはどういうことでしょう?たとえば、目の前にボールが飛んできたとします。
するとボールを目で見て、その情報が脳へ伝わります。
そして脳が「危ない」と判断して、各筋肉へ、ボールをよけるための的確な指示を出します。
すると筋肉が動きます。
このように、基本的には五感で察知した情報が脳に送られ、 脳がそれらに応じて取るべき動きを判断し、各筋肉へ指令を出し、身体が然るべき動きをする、という一連の流れがあります。(反射は異なります)
人間は一瞬一瞬の動きを行うために、このようにとても複雑なことを行っています。
「運動神経がいい人」というのは、より複雑な情報を、より的確に脳に送り、的確に判断し、より的確に筋肉へ命令し、より的確に筋肉が動く人、と言えます。
ボールが飛んできた話に戻ります。
どこかで的確に情報の伝達ができなかった人は、ボールに当たるかもしれません。(たとえ筋肉モリモリでも)
よけられたとしても、慌ててよけて転ぶ人… 身軽にさっとかわす人…いろいろです。
この場合は、無駄な動きをせずに、身軽にさっとかわせる人が、やはり「運動神経がいい」と考えられます。
運動神経は遺伝なのでしょうか?
いえそうではなく、運動神経の発達に影響するのは「環境」です。
幼い子どもを自然の中で自由にさせると、虫を探す、木に登る、川に向かって石を投げる、かくれんぼをする、鬼ごっこをする、秘密基地をつくる、といったように次々といろいろな遊びをし始めます。
本来、子どもはこのようにして自らいろいろな経験を通してカラダの使い方を覚えていくものなのですが、今はなかなか外遊びができないのが現状です。
ですから幼い頃の運動は、楽しく多種多様な動きを経験させることが大切です。
小学校高学年くらいになると、全身をよりコントロールできるようになり、新しい動きを何度か見ただけですぐに身に付けることができてしまうという特徴がみられる、動きの習得には最高の時期であると言われます。
ただしそれができるためには、幼い時に様々な基本的な動きの習得ができていることが前提となるのです。
運動神経のよしあしは遺伝ではありません。
子どもの頃の生活環境と経験が、運動神経の発達には大きく影響します。
適切な時期に適切な運動を行うことが、その後の運動能力を大きく伸ばします。
※ただし、筋肉の性質は遺伝します。
筋肉には遅筋と呼ばれる持久性に優れた性質のものと、速筋と呼ばれる力強さに優れた性質のものがあります。
そしてこれらの割合は人によって異なります。
どちらの筋肉も鍛えることはできますが、それぞれの割合は、遺伝的な要因によって決まると言われています。
多くの一般人の場合、遅筋と速筋の割合は半々ですが、例えばマラソン選手には遅筋が多く、短距離選手には速筋が多く見られます。
このように、筋肉のタイプによって向いているスポーツがあることは確かです。
しかし、当然、あるスポーツにおいて優れた成績を残すためには、筋肉のタイプ以上にどのようにトレーニングを積んだかが重要です。